先日、NPO法人 日本茶インストラクター協会発行の茶論No.86を拝読。面白い記事を見つけました。記事で取り上げられていたのは、『小説内で描かれるお茶のシーン』。
今回は、その内容をご紹介したいと思います。
ご紹介したいのは、茶論No.86内「お茶のあるシーン」というコラム。
書いたのは、演出家の垣花理恵子さん。
小説の中で描かれる、あらゆるお茶のシーンに注目した記事を書かれています。
この回で取り上げられていたのは、井上靖著『氷壁』です。この作品は映画化され、また、幾度にも渡ってドラマ化もされている名作。一番最近だと、2006年。夫を玉木宏さん、妻を鶴田真由さんで、ドラマ放送されています。
以下、コラム内容を要約してみましたので、まずはお読みください。
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大企業で要職を務める年配の夫。妻は若く、日々、夫へとても丁寧な対応をしています。そんな妻が夫へお茶を用意するシーンにおいて、出す直前、茶柱が立っているのを見つけます。すると妻は、人目を盗みながら、慌てて指で茶柱をつまみ出し、無かったことにするのです。
その後の展開としては、お茶を飲もうと顔を近づけた夫が、お茶から漂う葱の匂いを指摘。その匂いは妻が直前まで葱を切っていたからであり、遠回しな言い方に、妻は「茶柱を取るのを見ていたのなら、そうはっきりと仰ればいいのに」と腹を立てるのです。
実はこのシーン、妻の隠しごと(不倫)と、夫がそれに気づいているのではないかという予感を表現しているという、とても大事な場面となっています。
茶柱の隠ぺいに添わせて、両者の思惑や性格を表現するなんて、とても素晴らしいですよね。
コラムを書いた演出家・垣花理恵子さんは、お茶のシーンを通じ、他人行儀な夫婦の関係性について言及されています。また、同時期に発表された他の作品『ALWAYS 三丁目の夕日』と比較し、“お茶は妻が淹れるもの”という当時の価値観や、それがエリート層の特徴であること等が説かれていました。
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確かに、氷壁に描かれている夫婦のやりとりを見る限り、夫婦には上下関係が見られます。それは、夫の地位によるものなのかもしれませんし、時代によるものなのかもしれません。
そして夫は、思っていることを直接言うような性格ではなく、内に溜め込むタイプ。妻は、そんな夫のやり方を好ましく思ってないことも伺えます。妻が不倫をしている理由も、その辺りが要因となっているのかもしれません。
“お茶を淹れる”という、ほんのひと時のシーンで、こんなにも深く、物語の芯となる部分を表現できていることに、とても驚かされたコラムでした。
でも、このコラムを読み、ひとつの疑問に辿り着きました。それは、「なぜ妻は、急ぎ茶柱を取り除く必要があったのか?」ということ。
『茶柱が立つ』のは吉兆とされています。喜ぶのではなく、隠した妻。それは、なぜなのか。
調べてみると、ふたつの理由が考えられました。
①茶柱が立つということは、茶こしを通り抜けた茎が、茶碗に入り込んで
いるということ。これはつまり、“丁寧に淹れていない”と思われるから、
慌てて取り除いたのではないか。
②高級な茶葉には、茎はほぼ含まれていない。
妻の行動から考えるに、夫には内緒で茶葉のランクを落とした可能性があ
る。そして、そのことを夫に気づかれたくない(気づかれてはいけない)
のではないか。
喜ばしい物であるはずの茶柱を、隠そうと慌てる妻の様子から、「それはおかしい。何かあるはずだ」と思えるのは、やはり日本茶に慣れ親しんでいるからこそ。
“お茶を淹れる”シーンだけで、こんなにも様々な情景が想像できるって、とても面白いものですよね。
今回、『茶柱が立つ』ことについて調べていると、興味深い内容に行き当たりました。それは、『茶柱と縁起を結び付けたのは、番茶を売り込むための戦略だったのではないか』という説です。
先ほども書いたように、高級な茶葉に茎は含まれませんから、茶柱が立つ状況には至りません。茶柱が立つ条件が揃うのは、茎が含まれる番茶の価格帯でなければならないのです。
もちろん、番茶もすごく美味しい。日常的に飲むお茶としてぜひ愛飲頂きたいのですが、ご利用のシーンによっては、それを良しとしない場合もあるかと思います。そういう場合にも、番茶を楽しんでいただく術として、『“茶柱が立つと縁起がいい”という理由を盾に、番茶を楽しむ機会をご提供する』戦略が生まれたのだとすれば、これはとても素晴らしいこと!
“縁起”という付加価値を付けた茎が、お茶のTPOを打ち破るなんて、面白いですよね。
小説に登場するお茶のシーン、そして茶柱と縁起に関する言い伝え。
生活の中に日本茶が深く息づいているからこそ生まれるものであり、心に響くもの。いろいろな所に登場する『日本茶』にぜひ注目してみて欲しいと思います。