戦国時代とお茶は、深い関わりがあります。
以前、『お茶の歴史を、織田信長』というコラムにおいても、その一端を書きました。
でも、なぜ、お酒ではなくお茶だったのでしょうか。
戦国時代においては、茶会が政治に利用されるという側面を持っていました。茶道具は権力の象徴であり、茶会の場においては交渉が行われていたといいます。
というのも、茶室はその形状により刀を持ち込むことができなかったから。皆が丸腰であり、人と人が素の状態で向き合える場ということ。
それが、茶会が大事にされたひとつの理由だと言われています。
しかしながら、単なる『交渉の場』だけでは説明できないことがあります。それが分かるのが、九州島津家の家老、上井覚兼の日記に残された記述。そこには戦地のすさまじさが記されているのですが、その中に、1か月の間に平均4~5回の茶の時間が設けられていることも書かれているのです。そして、多い月にはなんと10回以上も。
お茶のタイミングとして興味深いのは、『戦地から帰ってきてすぐ』や『長期に渡る戦陣の途中において、ただ一人で向き合う』などというのも含まれていたこと。
こうなってくると、『交渉の場となったから茶の湯がもてはやされた』だけではないことが分かります。もしかすると、戦場で荒んだ心を茶で癒すことが目的だったのかもしれません。
もちろん武将の多くが、お酒を飲んでいたという記述も多く残っています。戦地から戻り、酒宴が開かれたという記録も多く残っていますから、武将がお酒に癒しを求めるという背景はあったことが伺えます。
しかし、お酒とお茶、各々が与える癒しは少し違います。
というのも、お酒を飲むと人は酔い、酩酊しますが、それはひととき辛さを忘れるための行為だと言えます。酔いがさめれば、忘れていたはずの辛さは戻ってきてしまいますから、本当の癒しかと言われるとそうではないのかもしれません。
しかしお茶においては、お酒とは趣が違うと言えます。なぜなら、お茶の時間が、辛さを忘れる時間とはならないからです。それどころか、静寂の中、自分の中にある辛さと向き合うこととなるでしょう。より苦しんでしまう可能性もあるのです。
しかしその時間こそが、自分で辛さを乗り越えるために必要なものだったとも考えられるのです。
お茶は、のどの渇きをいやしてくれます。
また、その栄養価より、体にとても良い影響を与えてくれます。
でもお茶が本当にすごいのは、心を癒し、心の栄養にもなってくれる部分なのかもしれません。ストレスの多い現代社会、戦国の世ではないけれど、常に戦い続けている人は多いのではないでしょうか。
だからこそ、たまにはほっとひととき、お茶を淹れ、心への栄養補給を行って欲しいと思います。